永遠 -ZARD Advent Calendar 2015 6日目-

この記事は投稿されてから1年以上過ぎています。技術情報の場合は最新の情報の検索をしていただき、正しい情報を習得されることをおすすめします。それを承知のかたはどうぞこの記事をお楽しみください。

永遠
作詞:坂井泉水/曲・編曲:徳永暁人

ZARDの22thシングルでドラマ「失楽園」の主題歌。それ以前にキヤノンの「EOS Kiss」のCMタイアップもしている。
なお、同タイトルでアルバムもリリースしており、1曲目はこの曲が収録されています。

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ちなみに、アルバムの方は僕が自分のお金で初めて買ったので、思い出補正もあるんですよね。

本日もdailymotionからどうぞ

今日はまず聞いてもらってから文章を読んでもらえれば。
聞きながら読むのでもいいけど、たぶん文章が曲に追いつかないと思う。

歌詞を考察してみる

「永遠」の歌詞を分解して考察してみました。
※あくまで個人的な見解ですので坂井泉水さんの意図していることと違っているかもしれませんが、捉え方はひとそれぞれなので…。

前提となる情報

先にも書いたとおり、この「永遠」という曲はドラマ「失楽園」の主題歌になっています。
「失楽園」の作者にも依頼され、CM曲だったものを書き直しているので、より強く深い愛の詩になっているという感じです。

「赤い果実」とは何だったのか

赤い果実を見たら 私のことを思い出してください

歌詞の冒頭に「赤い果実」とある。
この「赤い果実」自体はエデンの園の「禁断の果実」を指しているだろう。
それを食べてしまい – それはこれからを歩んでいく上で必要なことであったとしても – さまざまな事象を受け入れた二人の関係を(惹かれるにしても別離するにしても)、その状態であること・あったことを何かのきっかけでたまには思い出してほしい、ということが考えられる。

「赤い果実」が現実にどのような形で顕現しているかはいろいろな解釈があるだろう。
僕はこの「赤い果実」を以下のような3つの解釈でとらえた。

  • 「私」のような人
  • りんごほっぺ→恥じらいを持った頬
  • 心臓、転じて心の比喩

これ以上深くは言及しない。

「ガラスのかけら」とはどういう状態か

あなたの決心が固まったら・・・
キラキラとガラスのかけらになって

この「決心」は2つの解釈が出来るてしょう。

  1. 一緒に生きていく決心
  2. 決別する決心

いずれにしても「あなた」の決心は「わたし」の決心より前にしている。
「あなた」の決心についていきますよ、という献身的な姿勢が伺える。
印字の「・・・」から察するに、それは相当強い想いがあるのではないかと思います。

そして肝心の「ガラスのかけら」というのは何を表しているのか。
これも2つの解釈が出来ると思う。

  1. 「秘めた想い」を「表面に出した想い」に転換するために捨てる
  2. 「秘めた想い」を「なかったこと/思い出の中の想い」にするために捨てる

どちらにしても「もう隠すことはない」という感情が伺えるだろう。

「誰も知らない楽園くに」とはどこなのか

このまま消えてしまいましょう 誰も知らない楽園くに

2人だけの世界に一緒に消えることなのか、はたまたひとりで「あなた」の前から消えるということなのか。
前述の2つの解釈のどちらをとるかでここの解釈もかわるのではないだろうか。

楽園くに」自体はとても想像がつきやすい。

  • 楽園くに=2人だけの世界=同じ道を歩むその先
  • 楽園くに=思い出の中だけにある箱庭=そっと仕舞いこむ想い

ポジティブアプローチであるかネガティブアプローチであるかの違いだが、この両極端な解釈が出来るくらい歌詞は練られているのである。

「永遠が見える」のはどんな時か

今の二人の間に 永遠は見えるのかな

この「永遠」という言葉も2つの解釈ができるかもしれません。

  1. 永遠に一緒にいれる(一緒の気持ちで入れる)という想い
  2. 永遠に叶うことのない恋(永遠に繋がることのできないような距離感)

単純に考えて(1)のほうがしっくりきますよね。
ただ、この「永遠」の解釈の仕方で、その後の歌詞の捉え方、ちょっと違ってきます。

「失うことが怖くない」の真意

すべてを手に入れることが 愛ならば
もう失うものなんて 何も怖くない

「すべてを手に入れる」ことが「永遠」に繋がる道であり、そしてここでいう「失うこと」というのは、たぶん「ふたりだけの世界以外のすべてのこと」に当てはまるのかなというのが、おそらく一般的な見解だと思います。

しかし、前述の(2)の解釈をすることで、「失うもの」が「永遠=秘めた思いから生じる叶わない想い」という捉え方をすることもできます。
この永遠に繋がることのできないような距離感を捨て、すべて「あなた」にすべて委ねることで、私は幸せでいれるのだという解釈も出来ませんか?
そっちのほうが僕はステキだなと思います。

閑話休題:まどマギに見る「何も恐くない」

話は変わりますが「魔法少女まどか☆マギカ」では登場人物のひとりである巴マミが主人公の鹿目まどかと一緒に魔法少女を「もう何も恐くない」というセリフを残しています。
これはTV版第3話のエピソードタイトルにもなっており、この第3話は多くの視聴者に衝撃的なトラウマを植えつけました。

「永遠」の歌詞である「何も怖くない」と違って「怖い」が「恐い」と漢字表記が違うのですが、ここでは問題にしないことにします。

巴マミ自身は、ずっとひとりきりで魔法少女をやってきて、一緒にいてくれる人を求めていたという背景があります(オリジナル版の話です)。
そこに当時は見習いのような感じでついてきて、自分を心配してくれる鹿目まどかの存在に、自分の現在の状態を認めてもらうという承認欲求を満たされ、一緒にいてくれるという安心感が生まれた結果、最終的に「もう何も怖くない」というセリフが出てきました。

この承認欲求や安心感というのは、ZARDの「永遠」の歌詞である「もう失うものなんて 何も怖くない」と似ている部分があります。
自分を見てくれているという安堵感が、これまでの永遠ともいえる孤独感を拭ってくれた。
不安要素が解消にむかえば、「怖くない」という自信に繋がるのは自明の理ですね。

えっ、でもマミさんマミられたじゃんって?

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そこはアレですよ。必要なことだったんですよ(白目)

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マミさん逃げてぇー!

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なぜ「生意気な女性やつだと思った」のか

さて、話を戻しましょう。
先程までは女性目線での歌詞だったのですが、ここからは男性目線へと移り変わります。

口のきき方も知らない 生意気な女性やつだと思った?

男性側から見て、この女性は「生意気」に見えています。
「生意気」に見えてしまったという描写から、2人の関係性が少しだけ見えてきます。

  • この男性と相手の女性は、話している時にそんなに気を使っていない(素直な関係)
  • 男性の方はプライドを持っている節がある
  • 女性の方は実際は生意気な態度をとっていたのではないかもしれないということ

男って単純で勘違いしやすい生き物だと思います。僕がそうですし。
だからもしかしたらこの男性は、自分の型に当てはめてこの女性を見てしまっていたのかもしれませんね。

なぜ「声をかけようかどうか迷った」のか

偶然 街で見かけたけど 声をかけようかどうか迷った
思いが通じているかどうなのか、関係性が一時的なものなのかどうなのか、自分の中で答えが見つからない葛藤が見えます。

通常であれば声かけりゃいいじゃん、となるのですが、そういうわけにも行かない事情があったのでしょう。
それは男性側だけかもしれませんし、女性側も合わせてお互いにそういう状況だったのかもしれません。

声をかけることで関係が崩壊するかもしれないという、心の弱い部分がそうさせている可能性もあります。

「守るべきもの」の推測

守るべきものは なんなのか この頃 それがわからなくなる・・・

もともと男性には「守るべきもの」があることがわかります。
守るべき対象をひとつにしなければならない、または優先度をどうしたらいいかわからない、といったところでしょうか。
この頃…と言っているあたり、この男性には確固たる信念みたいなものがあったのでしょうね。

何もかも大事にしたいのでしょうけど、世間はそうさせてくれないし、自分のキャパシティもあるのはわかっている。
現状を受け入れた上で葛藤している感じです。

「守るべきもの」の正体には、2つの解釈があるのかもしれません。

  • 自分のプライドや世間体
  • その女性なのか別の女性なのか

どちらにしてみても自分の状況次第では天秤にかけれるのかなと思ったりしました。

セリフである情景

「君と僕との間に 永遠は見えるのかな」

2番サビのこの部分だけ括弧つきで印字されています。
これは相手に直接言ってしまった言葉の用に見えますが、実際のところはそういう描写はありません。
括弧がつくことで瞬間的に「そのことを強く思った」というのだけが明白なのです。

僕の中では「自分の心のなかで強くその疑問を瞬間的に意識した」として解釈しています。

坂道は何を比喩しているのか

どこまでも続く坂道
これは自分の人生の中を坂道に例えているのなと。
その中で想っている女性がどういう立ち位置にいるのかというのが次の歌詞で明らかになっています。

「想像した淋しさ」はどの程度なのか

あの日から淋しかった 想像以上に・・・

あの日、というのはいつなのかはわかりかねますが、淋しさの程度は伺い知れると思います。
この歌詞から男性が立ち止まっている、時に取り残されているように見えます。
先ほどの歌詞で「坂道」というのがあったのですが、ずっと人生を歩き続けるのが困難になるくらい淋しいのです。
苦を苦でなくしたいのかなと思いたい(思い込みたい)のではないでしょうか。

となると相手の女性は主にではなく心の拠り所、支えになっていることが伺えますね。
それが思い出の中にあったとしてもそばにいるとしても…。

「Just fallin’ of the rain」における3つの捉え方

Just fallin’ of the rain

直訳すると「ただ雨が降っているだけ…」

この「雨」に対して僕は3つの解釈をしてみました。

  • 男性が現在置かれている葛藤が自分を苦しめているという比喩
  • 「淋しかった」のが解消されての涙(実際に泣いているかどうかは問題ではない)の比喩
  • 実際にその「想像以上に淋しかった」というのを気づいたのが雨の中だった

どれでもいいんですけど、気付きがあったんだなというのはこれまでの歌詞をみているとわかります。

3番サビ冒頭と2番サビ冒頭の意味合いの違い

君と僕との間に 永遠は見えるのかな

ここでは括弧なしの歌詞になっています。
この構成、ニクいですね。

ここでは継続して疑問を抱き続けながら、それでも歩き出した現在の男性の立場で見るのが妥当でしょうか。
葛藤しても始まらない。でも進まなければ始まることも終わることもできない。
そういう心情が読み取れるようで、深い部分なんじゃないかな。

「門」が指しているもの

この門をくぐり抜けると

「門」に関しては安直に考えて「試練」でしょうか。
もしくは「決意」なのかもしれません。

色々なしがらみを捨て、(何とは言いませんが)決意した先に本当の愛とか幸福とかが待っている…と考えると自然なのですが、個人的には何も捨てなくても幸福にはなれると想っているので、ただ「腹をくくった」くらいに思っています。

「安らかな腕」は存在するのか

安らかなその腕にたどりつける

普通なら「相手の女性」の腕なんですよね。
これはもちろん比喩で、愛情に包まれるだとかそういうのなんですけど、本当に相手がいる前提でしょうか?
もしかしたらその女性が自分の歩む道にいなくても、経験の中で糧となっていて、決意した先に自分の設定した幸福が待っている、と考えれば成立するので、「自分にとっての満足感を得られるゴール」が「安らかな腕」なのではないかなと思います。

「また夢を見る日」はいつなのか

また夢をみる日まで

初見で聞いた時、ここまでの流れで「安らかな腕」にたどり着こうとしているのに「また」とはどういうことなのだろう?という疑問を持ちました。
しかし、歌詞として以下のように印字されているのを見て、ひとつの答えにたどり着きました。

安らかなその腕にたどりつける  また夢を見る日まで

このように、実は全角スペースが2つ挟まっているのです。

僕はこの歌詞を見た時に「夢を見させてくれてありがとう」という意志を感じました。
これは一緒に歩むことを諦めたのか決別したのか、はたまた一緒にいることで満たされ、そこですべてが終わってしまったのかはわかりません。
ただ、この出会いや思い出は忘れえぬものであったことであり、それを糧にして生きていってもいいんだという悟りのようなものなのかなと。

皆が勘違いしがちなこの曲のテーマ

ドラマ「失楽園」の主題歌になった影響でしょうか、この歌が不倫の歌であるという誤認識が蔓延している気がします。
もちろん「失楽園」の作者も関わって歌詞を書いているので少なからずそういう関係性も読み取れることでしょう。

でもね、これ、別に結婚してようがしてまいが成立するんですよ。
お互いにただ怖かったり勇気をもてなかったり、なんとなくの関係を壊したくなかったりする複雑な感情を載せていると考えてみてください。
こんなにピュアでストレートな苦悩を出しているのに、ああ世間はなんて安易な情報に振り回されてしまうんだと思ってしまいます。

これはピュアな愛の歌。
異論は認めない。

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もうひとつ簡単に考察してみる

まずはキヤノンの「EOS Kiss」のCMタイアップを見てみましょう。

アスペクト比おかしいですが、2本続けて見れるのでこれを選択しました。

CMは書き直す前なので歌詞が若干違います。

このCMにおける「永遠」とは

瞬間を「永遠」に収めること、または「永遠になくなることのない親子の愛」ですかね。
愛の形には色々あるけれど永遠に見える形にするという意味では、シングルで発売された「永遠」とは違う意味合いで捉えることができます。

結論

生きよう。

次回予告

個人的に、ふとした時に何故か口ずさんでしまう、NHKでシドニーオリンピックのテーマ曲にもなった「Get U’re Dream」をピックアップします。

この投稿は ZARD Advent Calendar 2015 の6日目の記事です。